10分間の花火があった。いえのベランダから見えた。夏の終わりを感じる胸がきゅっとするようなあの感覚が走った。

昨日のパラリンピック開会式を見て、自分の気持ちがのびのびした。自分が難病だってことだけではなくて、出演者のみんなが楽しそうだなと感じたからだ。そして選手のみなさん、体調に気を付けて思いきり輝いてください!

今日も本当にありがとうございます。少しは心を休めることができていますでしょうか。お体は大丈夫でしょうか。どうかほっとできる時間をと願います。

午前12時を過ぎて、お誕生日おめでとう、気分は?と聞かれ、うれしいです!と大きな声でこたえたそんな一日でした。

聞きたい講演はZOOMで。質問はチャット。変化の只中にあって、これからもどんどん形を変えていく日常。柔軟にしなやかに、いい加減に。絵本童話作家の常田メロンさんが、がんばるを顔晴ると言っていた。途端に顔晴ることが好きになった。

今年の2月にねこが2匹うちに来た。4歳と2歳の女の子。まなみとくるみ。保護猫部屋から来てくれた。毎日楽しく、皆で幸せになるぞってスタートした生活。わちゃわちゃとしながらも、楽しくやっている。

東京オリンピックの医療従事者の方の中には、ボランティアでされていた方もいたという。自身の勤める病院でコロナ対応もされ、休日を返上してのボランティア。本当に何も知らなかった。

東京オリンピックで医療を担当された医療従事者の方の中には、休日を返上してボランティアで医療にあたっておられたという。自身の病院でコロナ対応をされてそれから。本当に何も知らなかった。

毎日私たちの命を守ってくださる医療従事者の方がいるから、未来がある。そのことを絶対に忘れてはいけない。自分にできることを考える。

今日の午後歩いていると、きらきらと光るものが、私のお腹あたりを目掛けてゆらゆらと飛んできた。蝉だ、蝉の方も人間だと思ったのか、そのまま私の前で90度曲がって道路に降りたというより、落ちた。蝉はゆっくりゆっくりと歩いて道路を渡った。車が走ったがひかれずにゆっくりと歩いた。力を振り絞って軽やかに存在した。私はただそれを見ていて、光を浴びた蝉は輝いて見えた。命は美しいと思った。アトリエに戻り、キャンバスに向かった。

来年の展覧会に向けて描き始めた。アトリエはまるで戦いのような場で、そのほとんどが敗北して自宅に帰るというのが日常だった。それがあたりまえというかそれしか知らなかった。ふとしたことから、アトリエで「楽しい」と言ってみようと思った。もしかしたら何かが変わるかもしれない。なんでもやってみようと思う。

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